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茨木市立春日小学校へ転校 | 更年期世代55歳、人生最後のダイエット生活

茨木市立春日小学校へ転校

体重:83.50
血圧:135/97

おはようございます。
体重は見ての通り。また、体重ネタに脱線しそうな気持ちをグッと抑えて
千里丘から茨木へ転校したよっちゃんに行きたいと思います。

転校すると告げられたとき、「ほっ」としたのを覚えてます。
やっぱり子供の心理としては、友達と離れる寂しさで「嫌だ」ってなるんでしょうけど、私はいじめられていたのと友達がいなかったことから、新しい世界にとびこめることに「やった。ラッキー」って喜びを感じていたのだと思います。子供なりにホッとしていたのでしょう。
こうゆう気持ちは、表現が上手な子供でないと親は気づくことなく通り過ぎてしまうのだろうな。と思いました。実際私の母にも私が密かに喜んでいたことは、伝わっていないと思います。ハイ。
子供は子供なりにいろんな思いを抱えているのですよね。言われなくても察知できる親になりたいものです。あ、もう私はばあちゃんの世代だわ。
孫の気持ちをわかってあげられるババアになりたいものです。

さて、千里丘の南山田小学校から、茨木市の春日小学校に転校した私。
小学校四年生のよっちゃんは、転校生の記念すべき初日めっさ覚えてます。
子供の気持ちとしては、日本からアメリカ、いやアラスカ、いや南極(学校ないやろ)に来たくらい遠い言葉の通じない国に来た気持ちでした。
隣の駅やんけと思われるでしょうが、やっぱり初めての場所に紹介される時は、ドキドキが止まらない、心臓が口から飛び出て、北斗の拳の「ひでぶっ」(わかる?このネタ)になった気分でした。

この日の服装、覚えてます。
赤いジャケット、白い蝶々結びできるリボンのついたブラウス、こんのスカートに白のハイソックス。お母さんなりに、初日のこの子にと揃えてくれた「いっちょうら」でした。母ちゃんありがと。

お母さんと一緒に職員室に来て、担任の先生、西脇先生に紹介され、「今日からよろしくね」と言われたかは全く覚えてない 笑(ここは記憶なし)
お母さんとお別れして、先生に連れられて4年⚪︎組(何組やったっけ。覚えてへんわ)の教室に入る前、廊下を歩いている時は、まるで、アルマゲドンの気持ちでしたよ。スティーブンタイラーの歌声が流れてスローモーションで歩いている気分。(ドキドキ感伝わるやろか)まさに心臓がバクバクでした。「ひでぶ」でした。
チョークがたっぷりついた黒板消しでも、はさんどいてくれたらよかったのに。
そんなことはもちろんなく、がらっと扉を開き「はい、みなさん転校生の⚪︎⚪︎さんです。新しいお友達です」そして自己紹介。TED(テッド)でプレゼンする。いや、初めての舞台に立ったミュージカル歌手くらいの緊張感だったと思います。
私の口から出てきたのは「よろしくお願いします。。」とかくらいだったと思う。
まさにしょーもない感じの挨拶。
そっから、席に着いて、前の席の子に「どっからきたん?」みたいに話しかけられて、新しい茨木市の生活が始まったのでした。

それまで、真面目暗かった私は、「明るくてバカ」に変貌していくのでした。
周りの友達の影響ってでかいですよね。
明るくて元気な友達ができたことで、私はどんどんバカへの道を開いていったのです。。。あんまり覚えてないわ。

茨木も社宅だったんですよ。2DK→4Kくらいの広さになって、自分の部屋をもらえました。嬉しかったなー。
千里丘では、兄ちゃんと2人で二段ベットに寝てました。あれ?上の段か下の段に寝てたか忘れた。

あ、一個ベットの中の出来事思い出したのでご紹介。

鼻の穴にティッシュか藁半紙かを、鼻の穴に詰めて、とろうと思って、奥の方にどんどん入ってしまい、取れなくなって「やば、どうしよう」と思いながらそのまま取り出せなかった。。あの紙はどこへいってしまったんだろう。。。

はい、また断片的なしょーもない話で締めました。

私の社会人になるまでの大半過ごした大好きな茨木市の生活がスタートしたのでした。

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