鹿児島の試練

体重:84.2
血圧:144/101  やば。。

鹿児島は最近、いじめのような状況の天候になっている。
線状降水帯による、断水のあとは台風12号 レンレン(パンダかと思ったわ)がやってきた。
桜島の噴火は元々ですが、霧島連山も噴火している。

そして、21日には隕石が落ちた。
ニュースで見たけど、昼間と同じぐらいの明るさになってましたね。凄い。。
ほんと海に落ちてよかった。陸だったら大変な被害になるところでしたよ。

85歳になった父は、やはり物忘れというレベルではないほど、一度自分が言ったことが、覚えられていない。
1分前に話したことを、私が返事すると覚えていなかったりする。
父が話していることに対して、私が返事している間に、「何が? なんの話?」となっていてビビる。まあ、会話が成立しないわけだ。

人は、話を聞いてもらえるから、楽しく会話ができるんだよな。と改めて実感しますね。この一方通行な会話が、苦痛で苦痛で仕方がない。と思う人は多いのではないでしょうか。
あと、両親との会話だから厳しいんですよね。他人だったり、第三者との会話だったら、我慢ができたのではないかな。
この、スイッチの違いはなんだろう。不思議ですよね。
この親から生まれて、育てられて、今度は自分が見送る立場。最後を看取る立場になった時、色々な感情が交錯するんだろうな。
「あんなに元気で頼りがいのあった父さんが、こんなに血迷っている。。」と。
あ、うちの父は、昔から能天気だったから、あんなりそこまでないですが。
今も、お茶目ではあります。

母に対して、その感情が大きくはたらきますね。
母はしっかりもの。全てを仕切って家庭の全てを回していた。母に任せれば全てが解決すると思っていた。だから私はちゃらんぽらんな大人になったのでしょう。。母さんありがとう。痒いところに手が届く方式で育てられたので、何にもできない最低な大人になってましたね。はい。
あ、それで、母が73歳で病気になって、自宅に戻ってきたとき、思うように右手が動かず、「なんでこんなに何もできなくなったのだろう」と声をあげて泣いた時、私も胸が潰れそうになりながら、一緒に泣きました。

そうだよね。母さんはあんなに全てが完璧で家族を守るために奔走して、人生を全て使ってきた。のに、最後は右手右足が動かなくなった。
毎日、5品近い料理を私たちに振舞ってくれて、正月料理のおせちは全て手作り。掃除もチリ一つない部屋を作ってくれた。
やっぱり凄い。凄いと思う。私は同じことできない。
そんな自分が何もできない立場に突然なって、辛かったよね。
虚無感の台風に襲われていたことだろう。
今は、喉の筋肉が衰えて声が出せない。だから、私に声をかけてくれることができなくなってしまった。

喉が衰えるとこんなことが起きるんだなとびっくりしている。

ペンが持てれば、まだじを書いてコミニュケーションをとることができた。
でも、手も拘縮して動かないから、字も書けない。
声も出せないので、ベットの上から私を見つめるその目は、「おかえり」と思っているのか「あんた誰」と思っているのかも伝わらない。

母には後悔しかない。
ずーっと甘えて適当に好き放題に過ごしてきた私を、育てるのは大変だっただろう。財布からお金盗んだり、朝まで帰ってこなかったり、勉強はもちろんちゃんとしなかった。
そして、突然東京に転勤していってしまい、結婚して子供が産まれたらすぐ、「離婚したいって言われた」と相談してくる。
「子供を引き取るな」と母は私に電話で言ってきた。そして次の日「まずは乳児院というところがあるから、そこに入れてから安定したら引き取りなさい」と語ってくれた。ずーっと私のこと考えてくれてたんだろうな。
自分も娘がいるので、分かる。

母に親孝行していない。「後悔、後に立たず」とはまさにこれ。
母さん、ごめんね。

あれ?父さんのこと書いてたんだけどな。印象薄いな。

では、またアディオス

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