体重:83.9
血圧:122/90
体重、84の大台に差し掛かっている。やばっっ。
さて、近藤真彦さんの話、続けてさせてもらいます〜♪
「マッチ」大好きでした。あ、竹内みのるくんにほんのり初恋を抱いた後、私のハートはマッチにくびったけだったな。
あの甘い、いや、小学生のような可愛らしい少年の雰囲気。母性をくすぐられたのかな?(母性て。小学四年やし)あの頃皆が買っていた明星、平凡の雑誌の付録として付いてきたアイドルのポスターを、セロテープで四隅とめて、自分のベットのてが届く場所に貼って、「新人賞おめでとう」など話しかけていた。しかも、おませさんの私は、平たい顔のアイドルの唇にキスをしていた記憶がある。(もう、おませさんなんだから)
マッチが1981年の第23回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞。受賞曲は「ギンギラギンにさりげなく」。その時は泣いて喜びましたね。
「たのきんトリオ」が一世風靡視していたころ、「トシちゃん派」と「マッチ派」そしてごく稀に(失礼やろ)「よっちゃん派」あれ、こうやって見ると私と同じ呼ばれ方やん。に分かれた。マッチとトシちゃんは、雰囲気も全く異なる2人だったな。今もご活躍されていることに感謝感激雨嵐である。
あの頃は、アイドルが映画に出演していました。特にタノキンは何回か映画に出演していたな。私全部かぁちゃんに金もらって見にいってました。
その中でも、一番記憶に残っているのが、マッチと明菜ちゃんが出演した「愛・旅立ち」です。1985年に公開されたこの映画は、私の愛するダーリンマッチと明菜ちゃんの、ラブラブシーンに嫉妬していた記憶が残ってるなぁ。「私のマッチに何するのよっ」
明菜ちゃんも非常に憧れていて、ふんわりとしたロンクレイヤーを真似したものです。あの頃は聖子ちゃんカットから派生して、ドライヤーでブローしないと成立しない髪型が多かったな。まあ、ブローが上手くいくわけないから、全然同じにならんかったな。
明星に付いてきた歌本、ヤンソン覚えてますか?私はあれを見ながら、歌を必死に覚えてましたね。勉強は全然しないのに、アイドルの歌は一生懸命覚えて歌ってたなー。
たのきんトリオから始まり、松田聖子、中森明菜、竹本孝之、柏原よしえ、石川ひとみ、河合なおこ、早見優などなど。懐かしいなぁ。
小学生の私には眩しかったなぁ。芸能界。
あ、私はエレクトーンを習っていました。そのためヤンソンの楽譜を見ながら、音符を読むことができたので、歌ってましたね。(自慢か)
エレクトーンは、幼稚園の年少さんから中学2年まで続けたような気がする。
あ、私左利きだったんですよね。お母さんに左ききは不便だから、右利きにしないとと習字を習わされてましたね。習字で一番の記憶に残っているのが、公民館見たいなところで、習字習ってたんですけど、習字の筆に墨汁が付いている状態で、縦に置くのでその筆の先が、自分の腕の後ろ側に当たって、黒くシミができてしまってた記憶が鮮明に残っています。(ほんまに、こうゆうしょーもないものばかり残ってるんですよね。記憶って プププ)
エレクトーンと、習字とそろばん習ってましたね。
エレクトーンは、いわゆる電子ピアノですね。週一回通ってたんですが、また私のことですから、一週間出された宿題を一度もやらずに次の回に行くと、全然引けないから練習しないのがモロバレして、先生に「なんで練習してこないの!!!」って怒られてましたねー。あの頃はコンプライアンス、なんて言葉はなかったので、自由にこっぴどく怒られていました。はい。小学生だろうが関係ございません。
千里丘の時は個人だったんですけど、茨木の時はグループレッスンだったので、宿題の練習しなくてもあんまりバレなかったかも。いや、一人づつ交代で、練習した曲を弾くんだった。練習してない時は「練習できませんでした。」とリスケしてたな。あ、その時は怒られなかったな、というか呆れてたな。先生。
両親はエレクトーンを買ってくれていました。
そんなにお金持ちではなかっただろうに、可愛い娘のために、エレクトーン買ってくれたな。たいして練習もしないのに。母ちゃんごめんな。
エレクトーンの蓋の溝を使って、にいちゃんと、その頃大流行りしていた「スーパーカー消しゴム」をBOXYというボールペン(1980年代、ヤング向け文房具ブランドとして人気を集めたBOXYその中でも一番の人気はノック式のボールペン)を使って、消しゴムを走らせてました。はい。蓋を開けずにそんなことしていたので、蓋を開けて練習してませんでしたね。
ではまた、明日。アディオス

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