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遠距離介護その2 | 更年期世代55歳、人生最後のダイエット生活

遠距離介護その2

体重:83.9
血圧:144/103

あー、今日も変わらずデブです。おはようございます。
一週間が始まりました。
金曜まで、乗り切るぞっ!! ファイト

遠距離介護の話を、昨日書こうと思って、スタートしたら「両親の面白お見合い話」で終わってしまいました。で、続き書かせてもらいます。

ちょっと間は大きくすっ飛ばして、父が定年した60歳で、親孝行の父は、速攻鹿児島に家を建て、帰っていきました。(母に意見、聞いてなかったんだろうなー 帰るよ。みたいな感じで)
父は、4人くらい兄弟姉妹がおりました。(くらいというのは、人数が怪しいので。。。もっといたのかも)弟が中学生の時ガンでなくなり、兄が25くらいの時にガンで同じくなくなっており、妹か姉か(うーん、どっちやったっけ。という感じです。)0歳でなくなっています。

戦後は、乳幼児の死亡率は高かったと思います。そして父だけが残ったのです。
祖母にとっては、たった一人の息子となり、「いつになったら、帰ってきてくれるのだろうか」と首をながーーーーくしてまっていたのでした。あ、ちなみに祖父は私が小学校6年生の頃に、肺がんで亡くなりました。(こうやってみると。。ガンだらけの一族ですね)

親孝行の父は、祖母と同居すべく、鹿児島へ舞い戻ったのでした。
その時、祖母の住んでいる、高床式住居の土間がある、教科書に載っているような古ーい家、(私は好きだったなー)をそのまま済むのではなく、立て直して住もうとしたのですが、母の猛反対に会いました「あんなところに住むのは嫌っ」と。結構な我の強い母なので、譲らなかったのです。いや、すでに大阪から鹿児島に帰ることが本当は嫌だったらしい。「あんな田舎に本当は帰りたくなかった」と。鹿児島生まれながら、関西のおばちゃんとして30年近く生きてきた母は、「大阪すっきゃねん」と生まれ変わっておりました。「やっぱすっきゃねん🎵悔しいけどあか〜ん♪あんたよう忘れられん (たかじんです)」だったんですね。
大阪生まれの人よりも、母には、大阪の町がよく似合っていました。

祖母の家は、国道10号線沿いにあり、トラックが2回ほど、家に飛び込んできて
家の一部を破壊していきました。そして、めっちゃうるさい。長距離トラックが通るので母は、「こんなうるさいところには住めない」と。

仕方なく、土地付き戸建てを立てるべく、少し奥に入った住宅街に家を、81歳で完済の3500万ローンありで購入。(払う力があるのもすごいですが、81までローンて、すごいな。私は怖くて出来まへん)

祖母は大喜びでした。
母は姑との同居に、イラつきを隠せない毎日を過ごしておりましたが、祖母も89歳まで生きてくれました。祖母の話はまた、いずれ。

私の娘も里がえり出産させてもらって、母が73歳の時に血圧が高いこともあり、脳卒中で倒れたのでした。
そこから、私の遠距離介護が始まったのでした。

では、会社に行きますので、続きはまた明日。アディオス

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